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  • [35] 私の活動に支援を 投稿者:津村 経夫 投稿日:2011/04/18(Mon) 00:42  

    「東日本大震災支援活動」
    ○ 主旨
     私は、神戸の震災の時にも何もできないもどかしさを感じていました。3月11日に起きた宮城、福島、岩手、青森、茨城、千葉、長野の東日本を中心にした大震災を目の当たりにして、市民一人ひとりが、その底力をもって立ちあがる時だと感じています。この未曾有の災害において、多分皆さん自身が「自分に何かできないか、自分にできることは何か」と考えているのではないでしょうか。全国、全世界の皆さんが「自分の力を信じて、自分にできることを」探しています。
     私は、教え子の安否が心配で震災の日からずっと電話をかけていました。10日過ぎてようやく彼が避難所で奔走していることを知りました。そこで早速、白石市内の市議と共に支援物資を集め、2600食の食材と衣料品をもって4月2日に現地に入りました。その後、4月7日に再び食材をもって現地に入りました。
     報道だけでなく実際に、避難所に避難物資が的確に届かないことを見て、希望物品を日本全国から配送していただくシステムを考え実施しています。このようにして、これからも支援は続きます。現在支援している地域がある程度自立できるようになれば、別の地域に入って活動が続けたいと考えております。

     このような主旨で活動しております、皆様も御自分の意志で社会に参加してはいかがでしょう。 
    「 今この時に、同じ地球に生き、存在しあう喜びを仲間と共有したいから・・・
    地球というこの社会に参加しよう・・with you(あなたと)」

    ○ 内容
                             
    1 支援内容・・被災地、避難所、被災者が自立できるよう支援します
    ・ 避難所の生活が人間の尊厳を維持できるよう衣・食の生活面において支援する。

    2 支援は各段階を経て強化すべき内容を確認しながら行っています

    第一段階 活動拠点の設営と被災地情報の収集と発信、避難所の設営・運営の支援
    第ニ段階 避難所における生活(衣・食)の安定と食材の支援
    第三段階 仮設住居入居時の新しい生活の支援と自立のための支援
    第四段階 地場産業を振興し雇用を創出することで、被災者自らが家や家族を守り、 
    自らの尊厳を守って生活できるように支援する。地場産品の購入支援、芸術活 
    動等の地域開催による支援、災害FM局設立・運営への支援、児童生徒の教育活
    動への支援等地域活性につながる支援
    3 各段階の支援内容

    第一段階 活動拠点の設営と被災地情報の収集と発信、避難所の設営・運営の支援
     災害の起きた地域に先遣隊を派遣し、情報の収集を行う。現地の有力者、市会議員等を把握し協力を伝え、被災地から2〜3kmに活動拠点を置く。
     活動拠点には事務所をおき、衛星電話とIT担当者を置き、収集した情報をエリアコーディネーターに逐次報告する。
    事務所の設備と備品(2人の14日分)
    @ 寝具 A 炊事場 B 燃料 C 食糧 D 救急箱(大) E 衛星電話機
    F パソコン G プリンタ H インターネット I 小型ワゴン車(複数台)
      J トイレ
     ● 事務所は建築現場用箱型で施錠可能なものを調達する
     ● 活動拠点の広さ300坪(1ブロック)程度(×2 ボランテア共用時は2ブロ 
    ックが必要)ボランテアの拠点にも提供することを考えると、全体で2ブロックの
    広さを借用する。被災地が広い場合は、10km単位ごとに活動拠点を置くなどする。
     ● 災害直後に先遣隊が現地に入り、活動拠点の設営と情報の収集に当たる。
    また、避難所の経営や秩序の維持、生活の基盤の設営に協力する。
      ● エリアセクレタリーは収集した情報をIT担当者(若干名)に整理させ、内外に発
    信する。
    ● エリアセクレタリーは必要物資の内容と数量をエリアコーディネーターに報告する。

    第二段階 避難所における生活(衣・食)の安定と食材の支援
      避難所の生活のリズムが安定する頃には、食生活が貧困になるため、活動拠点に管理栄養士を派遣し、避難所の調理指導と栄養管理を行うことが望ましい。特に、希望のメニューに必要な食材が当該被災地圏内で調達できない場合には、他県に依頼し調達する。費用はその避難所で支出する。避難所が、学校の場合には大型の冷蔵庫が無い場合が多く、食材を保存できないために調達が難しい。そのため、その日のうちに運搬しなければならないこともある。また、ボランテアによる訪問炊き出しが増えるため予定が変更になることもあって、物資補給基地の近くに大きな冷蔵庫のある企業に協力要請をすることも必要になる。
     実際例
      カレーライスの希望があって、カレーライスの必要食材を山形県寒河江で調達し運搬。
     納豆と豆腐を宮城県で調達できないため、山形県寒河江で調達し運搬した。
      ともに、コーディネーターが発注以降に現地から一日延期の連絡が入り、企業の冷蔵庫を借りて、2日後に運搬した。

    第三段階 仮設住居入居時の新しい生活の支援と自立のための支援
    仮設住宅の生活は法律で2年の期限が付いていますが、新しい生活に早く慣れて自立に向けてスタートできるように、仮設住宅で生活できる基本的な物資を支援します。仮設住宅には、日本赤十字社から@洗濯機A冷蔵庫BテレビC炊飯器DレンジE電気ポットの6点が設備されます。
    そこで、仮設住宅に移って新生活の第一歩を踏み出すためにはまだ必要な物資があります。それらを一括して「スターターパッケージ」と名付け、リストをつくりました。以下の品目に皆様の周囲で調達できるものがありましたら、是非お送りください。

    1 物資の考え方
    ● 一戸家族で共用の可能なものは1個、それ以外は家族構成人数分とします。
    ● 毛布は支給されているものを持ち込むものとします。
    ● パッケージにはNo1~No90の番号順に家族数を記入して調整し、入居時に配布します。
    ● 幼児用の必要数が確認できれば考慮します
    2 物資リスト
    ご飯茶わん(家族数) おわん(家族数)    おはし(家族数) 匙 大(家族数)   匙小(家族数)   フォーク 大(家族数) フォーク 小(家族数)  鍋 中(1)お玉 (1) お皿 中(家族数)  お皿小 (家族数)  コップ (家族数) 煮物用器 中(家族数)   ハンガー(針金) (10)  炊飯器用ご飯べら(2)  菜箸 (2セット) 洗濯物干し用紐  (2) 洗濯バサミ(20)  石鹸 (家族数)  傘 (家族数)  懐中電灯 (2)   歯磨き粉  大(1) アルミホイル  (1)  ラップ〈大〉 (1) 食器洗い用洗剤 (1) 食器洗い用スポンジ (3) 洗濯洗剤 (1) テーブル    (1) 座布団  (家族数)  枕(家族数) 
    シーツ (家族数) タオルケット (家族数)  敷蒲団(家族数)
    掛蒲団 (家族数) 薄がけ蒲団 (家族数:夏用) ふきん用小タオル (5)

    四段階 地場産業を振興し雇用を創出することで、被災者自らが家や家族  を守り、自らの尊厳を守って生活できるように支援する。地場産品の購入支援、芸術活動等の地域開催による支援、災害FM局設立・運営への支援、児童生徒の教育活動への支援等地域活性につながる支援。他の組織との連携




    (現在の支援状況概観しますと)
    ● 現在は第二段階の活動を実行中です
    活動資金が乏しいため一段階活動が出来ませんでした。
    そこで、第二段階の活動として、物資を調達し、集積してボランテアで仕分けを行い、4トントラックに積み込んで運搬し、炊き出しをしました。
    また、避難所での物資集積状況を見て、仕分けをする余裕がないことがわかり、メールで皆様に依頼し、個々に現地に運送していただく方法をお願いしました。
    この方法で物資が確実に避難所に届けることができています。
    ようやく厚生省は食生活の改善について目を向け始めましたが、避難所の食生活に栄養士が必要であることを訴え、市で訪問させるようになりました。
    新学期が始まる21日に向けて、高校生が避難所からどのようにして通学するのかが決まらなかったために、市議に高校に訪問していただいて校長に民間バスのルートや時間帯の交渉に入るように要請し、実現しそうです。
    東京の高等学校の生徒からの物資が、気仙沼高等学校の生徒会向けに送られましたので、市議に届けていただきました。

    ● これから第三段階の活動に入ります
     これからは、第二段階の物資運送の依頼を行いながら、仮設住宅での生活が始められるように、物資を集積所に集め、ボランテアを要請して、パッケージに詰め替えて仮設住宅に運送する第三段階を並行して実行する段階と捉えています。

    ● 今、考えているのは「被災地、避難所、被災者が自立できるよう支援すること」です
     先日、東京の舘野さん(SERVAS member)から申し出がありましたので紹介します。
     「マスコットのキットの部品をパッケージにして、避難所に送り、避難している方々がそれを作っていただき、完成品を舘野さんの会社が買い取る」というものです。避難所や仮設住宅のお母さん方がグループを作って仕事として成立することも視野に入れている。ということでした。この話を及川市議に話をしたところと「地域が自立しようと動けば、復興に向けて新しい目標が出来る」ととても喜んでいました。
     折しも、オランダの会長夫人から電話があって、この話題を紹介したところとても感激して下さいました。支援物資を送るだけではなく被災した方々が自立することの大切さを
    アフリカの例をもってお話しにもなられました。
     
    復興に向けた支援とは、「被災した方々が自立できるように、自らの意志で選択可能な選択肢を提供すること」と思います。



    [34] 震災孤児について 投稿者:森幸子(東北支部) 投稿日:2011/04/17(Sun) 19:56  
    震災孤児について、 [servastohoku2004]グループの掲示板に、武石宣夫からの記事が掲載されています。本人の承諾を得て投稿します。

    ---------------------------------------------------------
    To: servastohoku2004@yahoogroups.jp
    Sent: Saturday, April 16, 2011 10:17 PM
    Subject: [サーバス東北] 震災孤児の関係はどうなっていますか?

    皆さんお疲れ様です。

    こちら新潟はようやく春らしくなって来ました。約1ヶ月の滞在の結果、このたび15日で浪江町の最後のご家族が猪苗代に移転され、新たな一歩を踏み出されました。

    この機会に我が家の里子の一幸は4家族12名の皆様との大家族での交流ができ、その養育には大変良かったと思っています。

    さて、震災でご両親をなくされた子どもたちのことはその後どのような情報でしょうか?私たちの家に、昨日新潟の児童相談所の方が定期訪問されたのですが、これといった新たな情報はありませんでした。

    これからの復興のなかで、実態把握が進むのでしょうが、皆様のところでそのようなことでお困りの方がありましたら、私のところは児童館のような形態にして、子ども論語塾をしていきたいという夢をもっていますので、ぜひご協力したいです。

     弥彦  武石宣夫.八重
    Help URL : http://help.yahoo.co.jp/help/jp/groups/
    Group URL : http://groups.yahoo.co.jp/group/servastohoku2004/
    Group Owner: mailto:servastohoku2004-owner@yahoogroups.jp




    [33] 外国からのメッセージを翻訳して 投稿者:津村 経夫 投稿日:2011/04/15(Fri) 23:19  
    外国からのメッセージを翻訳して翻訳版をぶら下げてください。翻訳はボランテアで大学生を頼めば喜んでやってくれそうです。また、この掲示板があることを外国に宣伝してください。お願いします。


    [32] 東北支部会報のHP掲載 投稿者:中崎忍(HP管理) 投稿日:2011/04/14(Thu) 23:49  
    東北支部の会報-No.75(2011年3月)がホームページに掲載されましたのでお知らせいたします。

    http://www.servas-japan.org/img/kaiho_tohoku_201104.pdf


    [31] The earthquake 投稿者:友野よみ子 投稿日:2011/04/13(Wed) 16:18  
    フランスの会員から3/17 13:14受信

    Bonjour Yomiko and Shigeru,
    In France we are checking the situation in Japan. I do hope everything is fine with you ???
    I don't know where you are now ? Sometimes you go to Tokyo to see your daughter and grandkids.
    Please drop me a line to tell me that you and your family are safe.
    Amicalement,
    Michel


    [30] Australians thinking of you 投稿者:友野よみ子 投稿日:2011/04/13(Wed) 16:14  
    オーストラリアの会員から
    Dear Yomiko

    We are all so devasted to hear of the terrible tragedy in Japan and just hoping you are all safe. I am not sure about any of your family who may live in the north. We are all praying for you and feel inadequate in how we could possibly help. Let us know if there is anything I can specifically do.

    We are all mourning with you.

    Kind regards

    Philippa


    [29] The earthquake 投稿者:友野よみ子 投稿日:2011/04/13(Wed) 16:03  
    2004に我家にstay したCharlotte さんの地震後最初のメールです。
    Dear Yomiko,
    My heart goes out to Japan during this tragic earthquake. I hope you and your loved ones are OK. One of your children and their family live in Tokyo, yes? It is so terribly difficult to realize just how vulnerable we all are in this world!
    Take best care,
    Charlotte


    [28] 韓国のサ−バス会員から 投稿者:森幸子(東北支部) 投稿日:2011/04/12(Tue) 22:30  
    韓国のサ−バス会員からのメ−ルが届きました。
    高校の日本語の先生です。 温かみがあって、読む人に好印象を与えると思います。
    私たちと李さん家族とはお互いの家を訪問して良き交流をしています。
    森 幸子
    ----- Original Message -----
    From: 이대영
    To: mori sachiko
    Sent: Tuesday, April 12, 2011 4:43 PM
    Subject: お久しぶりです。sachikoさん


    sachikoさん こんにちは。

    お久しぶりです。
    家族全部お元気にお過ごしになりますか?
    私たちの家族も良く過ごしています。
    韓国ではさくらがぱっと開いてみるのが良いです。
    お宅に津波の被害がなくて幸いなのですが放射能の被害がたくさん心配になりますね。
    韓国でも放射能汚染を恐れます。

    私は毎日日本の地震と津波の被害がはやく消えることを祈っています。

    放射能被害もなかったらと思います。
    日本の経済もはやく回復したらと思います。
    地震が続けば不安だろうと思います。.
    韓国でも昨日江陵(カンヌン)の側に震度3の地震があったといいます。心配になりますね。
    メールも以前のようにしばしば交換したらと思います。

    韓国のある女性作家が今回の日本地震を見て詩を作ったが紹介します。

    誰も苦痛がないだろうか?
    誰も痛くないだろうか?
    より大きい痛みに近く行って耳を傾けるよ。

    今日昼食は先生らと一緒にした後に桜の花が咲いている道を歩いてきました。
    家後にあるのに本当に良かったです。
    数日前には桜の花祭りをしました。

    日本がはやく昔のようになったら良いです。
    お健康で頑張って下さい。

    イ・デヨン 2011.4.12.



    [27] 東日本大震災-気仙沼市 投稿者:津村経夫(東北支部) 投稿日:2011/04/12(Tue) 15:46  
    東日本大震災
    気仙沼市小泉地区4月9日レジメ
    文責 津村 経夫

    1 地域性
     小泉地区は5キロ南下すれば南三陸町、北上すれば25キロで市街地の地理的な位置にあります。特に小泉地区から北上する国道45号線の橋が消失したので、旧道を約2キロ程度迂回します。しかもその道のほとんどが海抜数メートルで、余震による津波被害が及ぶ危険な道でもあります。
     気仙沼の市街地に至る国道も数か所で崩れており、徐行をしなければならないところがあります。震災後3週間で主要な道路は2車線が確保できましたが、崩落した家屋が道路に迫っているところも多く、通行には神経を使います。
    小泉地区は明治の津波の時に多くの家屋や人命を奪われて、その経験から、津波警報を聞いたら直ちに山の高いところへ登るようにと日頃訓練していたことが人的被害を少なくできたということです。 
     また、南三陸町、気仙沼、陸前高田、大船渡に至る海岸線は海岸から1キロの範囲にある国道は分断され、鉄道の線路と橋脚も流され、住居は流され破壊されて消失しました。
     小泉地区は、南側に位置する南三陸町は壊滅的な状態で、北側の中心市街地まで25キロメートルも離れている。商業施設が残るのは国道の交差する本吉津谷の地区。ここに自衛隊が駐屯し避難所の生活を支えています。
    (4月10日に電気が復旧しました)
     荷物の輸送は「宅急便」と「郵便」が営業しております。(地区によって4月10現在郵便小包が配達可能です。)

    2 避難所事情
     4月7日には、校庭に仮設住宅90棟の測量が始まり、仮設住宅への入居と避難所の移転の計画が進んでいます。移転は隣接する岩手県の廃校となっていた小学校で、環境は良く電気や水道も機能し、隣接する施設も受け入れが可能で入浴設備があるということです。現在移転の準備にはいっているところです。
     また、避難所で生活していても、それぞれの家庭には仕事を持っていて避難所から通勤する人も多くあり、仮設住宅への入居が家族の生活を支えるための最低の条件です。
     避難所で生活している人々の多くは、家族が団欒を楽しむ家そのものが消失したことで、幾日かの避難生活を我慢すれば家に帰れるという希望が全くないことと、畳2枚分のスペースでの生活のためにストレスも多くなっています。
    加えて、避難所に生活する人々の食事を大量に調理しなければならないことと、あるだけの食材で調理することで毎日変化の乏しいメニューにもなってしまい、精神的苦痛は計り知れないものがあります。
     外界と接する道路が少ないこと、隣接する内陸部の登米市と40分かかること、被災地である宮城県内で食材が思うように調達できないことなどが、避難所の食生活を単調なものにしています。カップラーメンと少しの野菜とおにぎりなどで既に1か月が過ぎようとしています。
    行政は学校が始まることで避難所の明け渡しと複数の避難所の統合をすすめており、避難した人々の生活と精神的苦痛についてはあまり配慮していません。

    3 これからの支援
     小泉中学校避難所は、責任者がしっかりしており、規律ある生活を保っております。これから、移転する人々、仮説住宅に残る人々に分かれますが、最低の生活と自立できる手立てを考え支援を続けることが我々市民の義務でもあると考えます。
     避難所を移転するに当たり、これまでの支援の内容が変わりつつありますので、新しい情報をもとに、支援活動を展開したいと考えます。

    4 ボランテア事情
     被災地域では家のほとんどが流されていて土台や基礎の上に多く瓦礫があったりと、素手による「撤去のボランテア」が入れる状況にはありません。壊滅的な被害を受けた地域のほとんどが、同様だと認識しております。重機が入り、道路の瓦礫が撤去されて初めて手作業が可能になると考えられます。
     仙台、亘理、山下方面では、海岸線に沿って避難所が点在しており、現在では「心理学的ケア」、「子どもの遊び」、「高齢者等のためのマッサージ」の他に「被災地の警備」などのボランテアが必要とされています。石巻や仙台のように家屋が残っている場合には家財整理があります。特に仙台、亘理、山下方面では大学生を中心にしたボランテアの数が多く作業の希望が満たされていないと聞きます。原因として、町単位で住宅が根こそぎ流されて瓦礫となっていて、素手による片付けなどのボランテアの作業が成り立たないことと、ボランテアを掌握する市町村の担当者の段階でボランテアの需給に対する情報の把握がきちんとできていないこともあげられます。
     被災地の状況を客観的に把握し、どのような支援が必要なのかを調整するコーディネーターが求められています。また各避難所に集積されている物資の把握もできていないために、無駄が生じ、必要な物品が避難所に届かないなどの物品集積の偏りも見えます。

    5 行政の考え
     また、避難所の生活状況を改善しようという取り組みや考えも乏しく、支援物資が豊富にあれば足りていると考えてしまう行政担当者が多いことも問題です。自衛隊が食事をつくり、提供している避難所では栄養について考えられていますが、自衛隊がご飯だけを炊いて提供しているところは、避難者自らが調理をしています。電気がないために冷蔵庫もなくて食材の痛みも早く、単調なメニューになることも仕方がない状況です。学校が避難所になっているところは、冷蔵庫も家庭用の小さなものしかないために、大勢の食材の保管もできない状況です。
     例えば、管理栄養士などを配置し栄養管理を行うことや、必要な食材を購入できるような仕組みをつくること。毎日の食材の補給経路の確立や商業活動の復興が、避難所の栄養改善に役に立つものと考えられます。献立の改善は食への意欲につながり、生きる意欲をももたらすものと思います。

    6 小泉地区のとりくみ
     各友人から郵送いただいた物資は、議員が受け取りお母さま方をとおして確実に配布しています。お礼状も郵送するよう全ての荷物のお名前や住所を記録しております。この方法は、支援者一人ひとりの思いが確実に被災地に届く方法であることと、被災者と支援者の双方の顔が見えることから始めたものです。現在も義援金は国に集まりましたが、一か月たってもまだ避難所にも被災者にも届いていません。でも私たちは、小泉中学校避難所にこの一カ月で必要な物品を確実に届けることが出来ました。

    7 これからの支援
    避難所事情にあるとおり、避難所は各地で縮小や統合を余儀なくされます。小・中学校を使った避難所では統合されて仮設住宅の入居を進められるのです。
     仮設住居には@冷蔵庫、A洗濯機、B炊飯器、Cガスレンジ D テレビ、E ポットが付帯設備、備品として付くそうです。4月の終わりから、5月の初めにかけて入居となるそうですので、入居に必要な物品が支援の対象となります。(付帯設備・備品については各市町村で異なるような話も聞いておりますので、新しい情報をお待ちください)


    4月7日の経路と道路事情など
    4月7日、8時に食材を保管してある冷蔵庫から積み込み、東北道から南道路〜東道路〜三陸道〜登米東和から一般道のルートで食材を届ける。南道路ない入った途端に渋滞に巻き込まれ以後、利府、松島、石巻と被災地のインターで渋滞に遭いました。それでも12時10分頃には到着し送られてきた荷物の前で写真を撮りました。校庭では、仮設住宅の杭打ちが始まり校庭でお湯を沸かしていた前の雰囲気が無くなり、子どもの遊び場も北側の駐車場にと移転していました。仮設住宅が約3週間で完成するということ、隣接市に避難所が移転する予定であることなどの話を聞き、大船渡に向かう。

    気仙沼から陸前高田に向かう海岸沿いの45号線は分断されており通行止め。鹿折(ししおり)地区には通常観光桟橋から行けるのですが、道路沿いの旅館が軒並み崩れていて通行止め。しかたなくバイパスに出て、鹿折の北に出て、陸前高田の西側に出る山道を走る。陸前高田の矢作は、5〜6キロも山手にあるが、そこまで津波が来ていた。ここから陸前高田に入ってもそこから大船渡には入れないため、尚も西側に行く国道343号を北上し住田町まで行って、そこで国道107号線を大船渡に向かう。気仙沼から2時間半で6時を過ぎると、海岸の瓦礫は道路を隠してしまい、道がわからなくなる。近くの民家で道を聞きようやく7時に渡邊氏の家に到着した。

    帰りに辺りを確認したら、ご自宅の5〜6m下にまで津波の来た跡があった。すぐ近くに駅があったが、駅舎は形もなく線路の下にある民家はことごとく廃墟になっていた。

    一路107号線を西に行き花巻から東北道に入る。9:40に自動車道を南下し、前沢で仮眠。突然のサービスエリアの電気が消えて、震度6強の地震に見舞われた。自動車の中で地震に遭遇すると実際の揺れより大きく感じるのかもしれない。この地震のせいで東北道はすぐ通行止め。寝袋を持って行ったので、エンジンを切りしばらく待った。午前3時過ぎになってパトカーに先導されて、20台あまりの自動車が水沢インターまで逆走し、そこから一般道へでることができた。一般道も前の地震のせいでいたるところう回路ができて思うように進まない。それでもようやく泉インターから南の路線が通行できることを知り、再び東北道へ。しかし下り線は全て泉で下されているため長い車列をつくっていた。結局、家に着いたのが朝の8時となった。この日の朝、白石は停電せずガソリンスタンドも平常時の営業していた。ガソリンは携行缶に20リットル入れて持参したものを途中水沢インターを出たところで入れ、白石まで間に合わせることができた。



    [26] 東日本大震災から1ヶ月 投稿者:森幸子(東北支部) 投稿日:2011/04/12(Tue) 15:37  
    日本サ−バス役員皆さまへ
    (PCがストップしてしまい失礼しました)

    東日本大震災は、今日11日で発生から一ヶ月を迎えます。
    強い余震も度々あり、疲労感を覚えます。
    今日はまた肌寒い日に戻ってしまいましたが、昨日の日曜日は暖かい日差しの中散歩を楽しむ人々の姿をみました。

    私の住む仙台市泉区は比較的被害が少ないのですが、それでもブロック塀が無残に倒れてたり、道路に無数に亀裂が入ったり道路か浮いたり、沈んだりとなっていて、危険を示すテ−プがあちこちに張られている状態です。

    昨日買い物に出て気づいたのはどこのDIYの店に車の行列が長く長く続いていたことです。 ガソリン不足で騒いだ10日前までを思い出しました。被害の少なかった泉区も自宅に小さな亀裂が入ったりした家が多く、自分で家の修理をしようとする人が店に押しかけているのです。店内はすごいエネルギ−で「みんな、頑張ろうとしている」と心温かな気持ちになりました。

    今朝の読売新聞の「編集手帳」の記事に心引かれました。「普段通りの生活をしても、死者を悼むのを止めたことにはならない。犠牲を無駄にしないため我々がまずできること普段の生活を取り戻すことだ」10年前に起きた米同時テロの11日後、市民に当時のジュリア−ニ・ニュ−ヨ−ク市長が語りかけたことばたそうです。 

    先日、上野公園で、「桜の下でのお花見宴会は自粛」を呼びかけの看板をみましたがとても残念です。気持ちが元気になりません。東北の桜は例年になく開花が遅く、仙台でも桃の花もまだ咲いていません。近々必ず美しい桜(津波で多くは流されたでしょうが)は被災地にも咲くでしょう。被災地の人たちは桜の宴も開きたくとも開きににくくなりますよね。

    長期戦となる震災後の回復に、歩みを止めるようなことは避けていただきたいと私は思いを書かせいてただきまし。

    次回もう少し具体的な報告を書きたいと思っています。
      東北支部  事務局 森 幸子



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