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 ☆☆☆ 「国際サーバス第29回総会 および 2012年ユース大会」 に参加して  ☆☆☆ 



日本チーム大活躍!日本代表は?

 関東支部  T.K 


今回の総会は,ポーランド北部の深い森の中に氷河湖が点在する保養地の中規模ホテルをほぼ借り切って開催され,53ヶ国の代表Delegateの他にオブザーバーを加えて約150名が参加しました。2004年のバルセロナ大会以来,国際サーバスには内部対立があるような空気を感じていたので多少緊張して会場に入ったのですが,実際は和気あいあい,「サーバスが好きでたまらない,サーバスが生き甲斐」といった人々の集まりで,この1週間はさながら「サーバス天国」にいる気分でした。

 会議のテーマは,サーバスのGood old values (平和,寛容,相互理解,etc.)を堅持しつつ,IT時代の社会と個人を相手にしていかにサーバスを存続・発展させていくか,という問題に尽きます。いきおい方法論,技術論が主な議論は深みに欠けるきらいはありましたが,会計問題を含めて格別な反目対立はなく,土曜日の昼食ぎりぎりまでの時間を使って予定した全議題を消化して閉会しました。ServasOnLine推進を公約したスウェーデンの代表がSI会長に選出されたこともあって,インターネットを利用したサーバス情報発信の活発化と,会員名簿のオンライン化に反対する議論を持ち出せる雰囲気ではなく,「日本代表」はわずかに数件の決議に棄権することで消極意思を表明するしかありませんでした。このうえは,オンライン名簿その他の内部情報へのアクセス管理を厳格にして,善意の会員が不測の被害を受けないように注意を喚起しつつ,IT化の流れに乗ることになるでしょう。

 会議外の活動として,遊覧船の遠足などがありましたが,最後の晩に各国の芸能紹介があり,ここでは日本チームは大活躍しました。ポーランド風?北欧風?の民族衣装を用意した日本サーバス宝塚歌劇団の選抜メンバー4名のVSOGs (Very Specially Old Girls失礼) が,ポーランドの第二の国歌ともいうべき「森へ行きましょう!娘さん」を涼やかに歌い軽やかに舞ったのであります。会場全体がうっとりと見とれ聞き惚れたものですが,気の毒だったのはポーランドチーム10数名で,日本の後で同じ歌を,司会者が「日本チームのはパクリ(imitation)である。我々は本物を聞かせる」と断った上で歌い始めたのですが,これが何とも合唱にも歌唱にもなっておらず,笑いをこらえるのに苦労したものです。

VSOGsの後はT.Sのオカリナ吹奏,曲は宗次郎の「シルクロード」です。1980年代のNHKの紀行番組で日本人にはおなじみですが,その嫋々とした音色はポーランドの夜の森を吹き渡り吹き巡って会場の人々にも大きな感動を与えました。終ると司会者が特に「何年くらい習っているのか,難しいところはどこか」など質問時間をとったくらいです。

最後は会場の皆に輪になってもらい,日本チームは全員出動して2人一組みのtrap gateを作り,ズイズイズッコロバシを歌って歌が止まったところでゲートを閉じて輪の中の一人を捕まえると,「本当なら厳しい罰ゲームを課すところだが,今夜は特別に,日本から持参したHappyコート(ハッピ)をプレゼントする」とおおげさに言えば,もらった人は得意になって羽織っていました。大喜びの大騒ぎの中で残念だったのは,この8着の半被がH.Tさんの手縫い夜なべの作品であることを充分聞いてもらえなかったことです。

 今年3月の日本サーバス京都国内会議でも味わったような,サーバスを通じた交流の素晴らしさを,今回はポーランドで大規模に味わうことができました。この幸せをたとえ小規模でももっと多くの会員が国内で,海外で,体験してくださるよう,また来日した外国トラベラーにも体験してもらえるよう,それからそのような個人的な幸せをエネルギーとして,この社会をもっと住みやすい世界にするような努力につなげていきたいと思います。


 
サーバス・ユース大会に参加して

近畿支部 I.M

私は大学の英語の授業で、たまたまアメリカ人の先生がサーバスを紹介したことがきっかけで、入会させていただきました。
入会してから1年以上たちますが、サーバス旅行をしたのはこれが初めてで、また、デイホストのためか、日本に旅行に来られたサーバスメンバーと会うことができたのも一度だけです。
そんな私が国際会議に出席するなんてと、不安と期待が入り交じった状態での参加でした。日本に帰ってきて、改めて、行って本当に良かったと感じています。
最も大きな収穫は、サーバスがいかにすばらしいものか、実際に体験した、ということに尽きます。
サーバスの歴史や日本サーバスがたどってきたもの、各会員のみなさまのポーランド等の国々に対する思いは、正直、私は無知に等しい知識しかありません。
しかし、会議場では、そのような期待や、伝統や、歴史に対する敬意を払いつつも、新しいものごとを進めるにはどうしたらいいのか、もっと良くするにはどうすればいいのか、という話し合いがほとんどを占めていました。改革を恐れずに、どんどん前に進もうとしていました。

印象的だったのは、どのメンバーも、ほとんどの意見がポジティブなものだったということです。
私の英語力では、理解できなかった話し合いも多くありましたが(世界各国の特異なアクセントの英語をじかに体験したのも初めてでした)、それでも、各国サーバスのいきいきした様子、各地域で積極的にサーバス活動を行っている青年らと共に過ごす事ができた時間は、私にとってかけがえのないものとなりました。
今回の会議で出会った仲間たちと、またいつか再会したいという気持ちが強くあります。
また、日本サーバスを、若く活気あふれるものにしたいという願いもあります。
しかし、何をすればいいのかや、長年サーバス会員でいらっしゃる方々にどのように敬意を払いつつ新しいものごとを進めていけばいいのかもわかりません。また、もうすぐ始まる就職活動や、新入社員となる再来年以降に、サーバス活動に時間を割けるのかどうかもわかりません。
今回ユースミーティングに参加したことで、もう一つ重要だった収穫は、世界各国のサーバスユースリーダーたちと友人となることができたことです。
アルゼンチンのパブロ、アネリス。ロシアのレーシャ、クリスティーナ。イスラエルのレウトコロンビアのゴンサロウガンダのモーゼス、イブラヒムアメリカのヘザーポーランドのヤネック、アイーサ、アッシャをはじめとするユースミーティング企画チーム。韓国サーバスのユースメンバーである、サンモ、ヨンユ
どれも、とてもアクティブなサーバスメンバーであり、かげがえのない仲間たちです。このような濃いメンバーと友人になれたことをとても誇りに、そして嬉しく思います。
また、単に知り合いになれただけではなく、彼らが私を通して、日本サーバスの状態を知ってくれたこと、私がサーバスのメンバーで有り続けることを期待してくれていることが、とても大きな収穫でした。

このたびは大きな励ましをいただきまして、本当にありがとうございました。

 
 

 Young In Heart

サーバスユースミーティングに参加して―

近畿支部 H.T

 私が国際サーバスユースミーティングに参加したいと思ったきっかけは、日本サーバスの会員が高齢化しているので、何とかヤングの会員が増えないかなあと思っている事です。Servas International (SI)Newsを見ても、今1つサーバスユースが何をしているか解からないし、直接行って見てみようと思いました。それが魅力的なものであれば、日本サーバスも、ユースの組織と繋がって、若い人たちが生き生き活動してくれれば良いと思いました。

私はヤングではないので、あるサーバスの会員からは「おばあさんが孫の活動を見に行くみたいね」と言われ、私も片隅で見るというような気持ちで参加を決めました。所がミーティングに出るや、何という広い年齢層、私より年上の人もいるのです。代表者のPabloさんは、”Age is no problem. Young in heart is important.”と言われ、私は堂々とミーティングを楽しむことになったのです。

SI会議が3年に1度持たれるのに対して、ユースミーティングは毎年持たれます。もちろん難しい議論もありますが、これは全くのミーティングで、再会を喜び、色んなプログラムを楽しみ、皆で生き生きと楽しく、世界の平和を目指してサーバス活動を進めて行こうという気持ちが高められるものでした。子供たちも来ていて、多い人はお母さんが4人の子供を連れて来られています。その子供たちを何時も家族が見なければならないというものではなく、誰かが適当に共に行動して、いつも皆が楽しめるというようになっていました。何時か、”Families in Servas” というのがSIニュースに載っていましたが、納得しました。プログラムもディスカッション, ビデオ、スポーツ、ウォーキング等が並列してあり、自分の好きな所へ参加するというものでした。会場はクリニカというポーランド南部の山岳観光地帯なので、エクスカーションでは、山岳地帯のウォーキングを始め、近くの町の観光、ポーランドから遠くないスロヴァキアの世界遺産の町、バルデヨフに行ったりもしました。又、ローカルセンターと連絡を取り、近くの子供たちに世界と触れる楽しいプログラムを提供したりもしました。ユースミーティングの内容はこの様に多種多様で、正に会議だけではなく、これ自体が1つの活動でした。皆はやる気満々、若い情熱で何とか良い物を作って行こうという気迫に満ち溢れていました。ディスカッションもなかなかのもの、困難な事があっても決してしり込みしないで、打開策を模索し、サーバスを前進させようとしていました。議題はユース自体の事柄もありますが、多くはサーバス共通の問題で、まとまった事をサーバスユースからの提案という形で、SI会議に反映していきました。この気持ち、行動力がある限り、サーバスの未来は明るいと確信出来、このエネルギッシュさこそ、ユースたる所以だと思いました。

代表者のPさんが「次のユース会議はぜひ日本で」と言われました。私は今の日本サーバスを振り返った時不安を感じて、「日本は今その力はない。隣の韓国なら出来ると思う」と答え、韓国のYさんに合図しました。Pさんは東アジア圏で協力して開催して欲しいと続けられました。韓国の参加者Youngyouさんは最後の挨拶で「何時かユースミーティングを韓国で」と言われました。SI会議でこの事を韓国サーバス会長のSongさんに告げた所、「韓国サーバスは英語の出来る人が少ないのが難点」と言われました。今回の会議の企画者には、他国の人も参加しています。韓国でユースミーティングが持たれる時、日本も何らかの形で協力出来たら良いなと思います。

私もここで知り合った多くのサーバスの人たちと心を繋げて、より良いサーバスを目指して歩んで行けたらと思っています。



Still Alive サーバス国際会議に参加して−

 ポーランドで2週間余り過ごした後、ポーランドの北部、避暑地として有名なマズリーという湖水地方でServas International(SI) Conferenceが始まりました。日本からの参加メンバーも増え、又、サーバス・ユースミーティングで一緒だった人も多く、最初から楽しいものでした。参加者はSIの役員、議決権を持つ者、オブサーバー等に分けられ、私はオブサーバーという気楽な位置でした。1日を通して皆でエクスカーションという日はありましたが、議題は事前にメールで配信され、毎日ディスカッションがメイン、正にConferenceでした。と言っても、オブサーバーは会議中でも会議に出ず、近くに繰り出して楽しめるという位置でした。私も日本や他国の参加者と共に、ウォーキングやサイクリング、はたまた水泳等を楽しみました。オブザーバーを対象に主催者が企画してくれたカヤックセイリングツアーは、湖を結んでいる川をカヤックで下るというもので、カヤックが初めての私には、ベテランのメンバーが同乗して下さり、美しい自然の中で、良きサーバス仲間と素敵な時が過ごせました。会議は大きなグループで行なうものや、少人数で行なうものがありました。事前にどの分科会に出ようか決めていましたが、とにかく私の英語力ではついて行くのがしんどい位で、というより、ついて行けずで、興味のあるテーマより、英語のわかりやすい人が主催する分科会への参加となりました。小さいグループでは、根気よく私の話も聞いてくれて、東日本震災の事を報告したり、議論を深めることが出来ました。ユースミーティング、SI総会を通じて、Servas On Lineは大きなテーマでした。今、若者が昔ほどの規模で旅行をしないと言っても、カウチサーフィン等のホームステイ組織は会員を伸ばしている。サーバスに若者を獲得出来ないのはなぜか。その違いを考えるに、カウチサーフィンは、インターネットで簡単に会員になれ、ホスト先を探せるのに対して、サーバスはその手続きが今の若者に合わないというのが原因の1つと分析され、若者を獲得するためにも、Seravs On Line は必須と結論づけられました。サーバスが出来て年月がたっている日本の様な国は、どこも会員の年齢が高齢化していて、会議で出会った時の挨拶も ”You are still alive !” が聞かれる程です。Servas On Line のディスカッションを担当したのは、ユースミーティング、SI総会ともスエーデンのJonnyさんで、私は彼にMr. On Line と命名しました。彼はSIの会長に選ばれましたから、Servas On Line が進められるのは、明らかです。個人情報保護とか問題はありますが、問題があるから躊躇するのではなく、問題をどのように克服して、前に進んでいくかというように考えられます。出席者は皆サーバスを良くしていくために知恵を出し合って、前に向かって歩んでいます。これだけのやる気があれば、サーバスは上手く行くと思えました。

日本からはT.Sさんが参加されるので、オカリナ演奏が出来ます。それで、私たち日本サーバスはClosing Celebrationでオカリナ演奏に合わせて歌を歌ったり、手作りのプレゼントを全員に渡しました。これも悪くない様に評価されたので、安堵しました。

参加者はディスカッションは言うまでもなく、いろんな面で温かくポジティブです。サイクリングでは、マウンテンバイクが初めての私は、何度も転んだり、ギアチェンジが上手くいかず、皆の足を引っ張ったのに、その翌日には「何時でも行こうと思ったら一緒に行くからね」と声をかけて下さいました。SI News担当のご夫妻は威厳があり、話しかけにくかったので、あまり話しをしませんでしたが、帰る時、「あまり話しをしなかったけれど、ギリシャで待っているからね。」と声をかけて下さいました。SI Peace Secretary Danielleさんとは、私がうら覚えのフランス語の歌を一緒に歌っていた所、帰ってから音符付きの歌詞をメールで送って下さいました。この様に共に歩んで行こうという事が至る所に感じられて、私も日本の地で活動し、良きサーバスを目指して連帯を深めたいと思っています。



 


ポーランド国際会議に初めて参加


                              近畿支部 T.S

去る85日から11日までのサーバス・ユース大会と、同18日から25日までの国際サーバス総会の、いずれもポーランドで開催された二つの世界大会に、私は初めて出席してきました。ボランティアの組織であるサーバスの世界中の人々が一堂に会するものとはどんなものか、一度見てやれ。という好奇心と集まってくる人々とはどういう交流が出来るものか確かめたくて、参加してきました。相手から見返りを期待すべきでないボランティア精神からいえば、「人が好きで、未知の人との出会いを求め、自分を変えていくコミュニケーションの手段を学びながら」絶好の機会かもしれないと思いました。

Servas Youth  Meeting  Krynica-Poland  

前夜祭の場所がメールで送られてきたので、ワルシャワ市内の、とある場所へ7:00 PM 頃を目指し出掛けて行った。前夜祭と銘うっているので、受付があり登録などが必要かと思ったら、あに図らんや、8:00PMを過ぎていたが、三々五々人々が集まり始め、再会を喜び合ったり自己紹介したり、思っていた様な形式ばったものは無く、好きなように時間を潰して帰宅した。あくる日サーバスユースの会場へトラムと途中で貸切バスに乗り移動した。南部のクリニカという大変静かな、風光明媚な所で、到着して、ここで一週間を寝起きを共にし会議や野外アクティブに参加するのかと思うと嬉しくなった。周りはコンビニもなければ、デパートも無い自然の森の中であったが、Wi-fi 通信はできる環境であった。

Servas Youth Meeting Organizing Team の選択に、偏に感謝の一言に尽きると思った。参加者も区々で、事前の個々の調査もきめ細かく行き届き、役員も含め、約91名からの参加者の情報を管理するのは大変だっただろうと想像する。

特に Ms. E, D (大会責任者、はGASYの二つの執行部)その他、ボランティアで参加したポーランドの人達の努力があってこそ、成し遂げられたものと思う。

会議で出会った人々の国々、特記すべきは レユニオン(私の地図には無い国でした。フランスの海外県でマダガスカル島の東方700Kmのインド洋上に位置する)の二人のレディーから、朝に夕に声を掛けて頂き、親しくなった。何でも、日本の友人がおり、日本から旅行者も来ているとのこと。アフリカの東部など思いもよらない地域だったが、日本からも行っている人がいれば、興味の湧くところ。

他にロシア、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、ジョージア、スロバキア、など旧ソ連から独立した若い国からの参加者が多数若者で一杯で、英語を巧みに使い、会議に参加しているのには驚きでした。活発な意見交換などもなされ、議案も提出され、新しく決議案もあったのでしょうが、その報告はI.Mさんから、別紙を通してあると思う。

会議ばかりでは、物足りないので途中スロバキアへのエクスカージョンに参加した。ポーランドとの国境近くのバルデヨフは、ハンガリーとポーランドを結ぶ交易路の上にあり、古くから栄えてきた。14世紀に創建された城壁と砦がよく残されている町として名高い。2000年にユネスコの世界遺産に登録されている古い町並みを散策する機会を得た。

また、H.T近畿支部長が万事整えられた「折り紙のデモンストレーション」に参加し、冑や折鶴の折り方を披露した。

サーバス・ユース大会の会場は部屋も安全で小綺麗で食事も私には充分楽しめるものだった。朝、昼、晩と食事を共にテーブルに着くことは、お互い、心を開き、今までの旅行の体験を話す機会に恵まれ、これからの計画に役立つ情報交換の場となった。ふつうの旅行では味遭うことの出来ない世界地図を常に頭の中に搭載し、広く見識を深める場となった。

また、ロシアの青年と友好を暖める機会を得た。チェルノブイリ出身で、今精神科医を目指して勉強中である。東日本大震災後の人々の心のケアーはとても大切である。とチェルノブイリの原発事故後の教訓を踏まえて話してくれた。テクノロジーの発達で科学と人間の係わり方を研究していきたい。と真摯な心を覗かせてくれた。

最後の晩餐では、ロシア出身の若者が、流暢な英語で大会責任者 Ms. Ewaへの労をねぎらい、また一人ひとりポーランドのボランティア部員を紹介し、ホテルの食事担当者等への

感謝の気持ちも忘れず表現していたのには、スマートな最後の締めくくりと思った。

General Assembly 2012, Piaski-Poland

会場はポーランド北部、マズーリ湖水地方のピアスキ。ワルシャワから貸切バスで移動した。白鳥が泳ぐ湖の傍のリゾート地で、到着後は部屋の割り当てがあり、H.Tさん、O.Tさんと三人部屋で、広々とした夕陽の沈む景色も良く見える、快適な空間でした。

 Conference Activities

参加国 52ヵ国、総勢 約160名。 総会はSI Vice President Mr. Pramod Kumar の開会宣言から始まった。

   Vision/Future
  P Peace,Communications and Experiences
   Hosts and Travellers
   Financial
   Administrative
   ServasOnLine

以上が会議の主なテーマでした。熱意に溢れた、活発な意見が飛び交い、喧々囂々とした殺気立ったものでなく、発話を愉しんでいるかのようにも思われる討論が夜中を過ぎて2時3時までも続いたそうです。私はそんなに遅くまで付き合う事が出来ませんでしたが、終電や最終バスを気にしないでおられる会場で、トコトン話しあわれたのは、流石サーバスの世界大会だと思いました。

 Country Presentations

日本の出し物は、ポーランド民謡「森へ行きましょう」、日本童謡「ずいずいずっころばし」を日本の歌詞で歌った。コスチュームも日本にいる時、それぞれの衣裳の打ち合わせをし、持参した。「ずいずいずっころばし」の日本語の歌詞は、外国人からは語呂あわせが面白いのであろうか 「とっぴんしゃ、俵の鼠がちゅうちゅうちゅう」などの歌詞のところではリアクションがあった。この公演の前にT会長から、日本サーバス50周年記念誌を発行したと冊子を見せながら報告がなされた時、日本語を学んでいる数人から大変興味を示された。

また、スロバキアの紹介では、同国サーバスの会長Mr. Karol Accipiterが自らモーターグライダーを操縦して空から撮影した城跡、教会、穀倉地帯のビデオを上映された。私は2003年にサーバス旅行でスロバキアを訪ねているので、特に興味を惹かれ、後でお話すると私にそのビデオ録画のアドレスを送ってくださった。Youtube を使って見る事が出来、高い関心があったので、友人にもそのアドレスを送り、スロバキアは遠い国ではあるけれど、身近に感じることができた。

Other Activities

夜は満天の星で、あたりに工場地帯も無くネオンサインも無いので、澄み切った空に浮かぶ北斗七星、カシオペア座、天の川がすぐそこに見る事が出来た。夜空の星をこんなに近くに見たのは初めてと言っても過言ではない。遠くに流れ星を見つけ、2011年のしし座流星群の時にこの地に来ておれば、どんなにか多くの流星群に出くわしたであろうかと想像した。

また日を改めて、カヤック体験のツアーがあったので、オプションで申し込みをした。乗り場までバスで移動し、ツーリングカヌー(2人乗り)に私はドイツの男性会員 Thomas Thomas と組むことになった。機関車トーマス の名でトーマスは日本で有名だが、First name とLast name が同じ人にお目にかかるのは初めてであった。カヤック乗りの経験は何度かあるということなので、頼もしく心強く思った。お天気は申し分ない晴天。湖面は穏かで川を下っていくのであるが、二人の息はピッタシ合い、一漕ぎの何とスムーズに進んだことか。川は手付かずの自然のまま、深さはどれ位なのか、分からなかったが、途中 放牧されている馬を右手に見、左手には白樺林、剥き出しの岩場は無く、ぶつかる危険も無く、自然に蛇行した流れのままにスムーズに2時間余り、進んで行った。途中で鴨の家族に出遭ったり、睡蓮の開花に遭遇したり、初めての経験としては充分愉しむ事が出来た。トーマスさんとは、会話も弾み、今までのサーバス旅行を質問してみると、アフリカやシリアなど、私にとっては思いも付かない地域へ行っていらっしゃる体験には、流石、長い会員歴のある方とお見受けした。日本の東日本大震災後の住民の居住地の問題や原子力発電、エネルギー問題なども、ドイツも日本も抱えている工業国としての悩みは同じで、意見交換が出来たのではないかと思っている。 

朝食の時間に配られる、前日のニュースの瓦版には、スタッフの並々ならぬ努力に敬意を払って読んだ。また、期間中、早朝6:30からのヨガの時間にも参加して、運動不足解消を図った。

会議は白熱した討論がなされたが、Morning break Afternoon breakの自由時間には、国や男女を問わず会話に盛り上がりがあった。また歌やダンスの輪は自然に肩を組んだり、手をとりあい参加する姿勢には、心から参加して良かったと思った。日本からはお手製の「におい袋」を参加者一人一人にプレゼントした。またコスタリカやトルコ、スペイン、USA, etcからはバッジや手製のしおりを記念に戴いた。

日本出発前の準備段階で、私はエレベーター、エスカレーター無しを想定していなかった。26日間の長旅を考え、トランクは我が家の最大の物を使った。それが間違いであった。ポーランドでは、ほんの一部分の都市部のみ、エスカレーターが設置されており、到底私の力のみでは、移動できなかった。駅においてしかり。バス発着場しかり、その度に、周りに助けを求めた。ポーランドの男性は皆快く引き受けてくれて、親切が身に沁みた。チップも考えたが、それよりありったけの笑顔で、感謝の言葉を伝えた。「ジェンクイエン」・・・ありがとう。    「ジェンクイエン」・・・ありがとう。

お蔭で、腰痛などの悩みには至らず、帰国出来、感謝しています。


 
 

国際サーバスのGA2012 in POLANDに参加して

近畿支部 T.S

  この度ポーランドで開催されましたサーバスインターナショナル国際会議にオブザーバーとして家内と同伴で参加させていただきました。何かとお世話頂きました方々に心からお礼申し上げます。初めてのサーバス国際会議に参加して戸惑いもありましたが大変有意義なピアスキでの一週間を過ごせたと思っています。

 交流は会議の始まる前夜からワルシャワでのプレミーティングで始まりました。初めに驚きましたのは,集まった仲間たちのフレンドリーだったこと。我々は初めてお会いする前に既にサーバスと云う輪の絆でつながっていることを強く感じました。どの方とも笑顔で接し どのような隔たりも感じさせませんでした。なんと素晴らしい会だろうと改めて思ったものです。プレミーティングと言っても特に特別な会場が設定されている訳でもなく,集まって誰かが挨拶をするわけでもなく,大体の時間に思い思いに決められた場所に集まって親交を温めるだけのものでした。最後までその場にいませんでしたが,全く自由な集まりのプレミーティングであったと思います。

  この度のサーバス国際会議には世界から52か国158名の方々が参加されました。開催国ポーランドのサーバスの方々の周到な準備と献身的なお世話は,オブザーバーの私には到底計り知れないほど大変なものではなかったかと想像致します。サーバス国際会議開催中の行動予定表には一日中びっしりとしたミーティングのスケジュールが組まれていました。この会議予定表にも驚きとこの国際的会議の意気込みを感じました。

 毎朝6時半からはモーニングアクティビテー。これは全く個人任せで,近くの森を散歩したり仲間が集まってヨガを楽しんだり柔軟体操をしたり,湖岸のベンチで朝の空気を楽しんだりでした。

 7時半からはお楽しみの朝食です。朝食はバイキング形式で朝からたっぷりご馳走が頂けます。またこのレストランの各テーブルを囲んで各国のサーバスメンバーの交流がどちらの席でも自由に始まります。

 僕は英語があまり上手でありませんので多少緊張しましたが,隣に同席された方とは積極的に会話を楽しみました。会話の内容は様々です。

朝食後は8時半から直ぐにその日のスケジュールの通り会議が始まります。会議は議題に基づいてミーティング形式で始まります。進行は全て各国 デリゲイトとナショナルセクレタリー,そしてポーランドのお世話役の方々が中心で発言権のないオブザーバーからはほとんど意見は出ませんでした。

 私の場合は会議の雰囲気を感じるだけで内容を理解するのはかなり難しくさっぱりわかりませんでした。サーバス会議の詳細は日本サーバス代表として会議に出席されたT.K氏にお任せするとして,僕はこのGA2012国際会議で感じたことやこの会期中の流れや主な行事だけを少し述べたいと思います。

 午前中の会議はモーニングブレイクを挟んで午後の1時まで続きます。

 1時から2時までは待望の昼食。こちらもブュッフェ形式のバイキングでしたが昼食が一番豪華でした。昼食時も大事なコミュニケーションの場ですからあちこちで盛んに会話が弾みます。連絡事項はたいてい食事の時に世話役の方が皿を叩いて始まります。多分食事の時だけが全員一か所に集まる機会だからだと思います。

 午後2時からまた会議が始まり,アフタヌーンブレイクを挟んで7時半までですからデリゲートの方々は大変だったと思います。

 夕食はいつも晩の7時半からです。これで一日のスケジュールはおしまいかと思いきや,9時から晩のアクティビティーです。晩のミーティングは特に何時に終わるのか明記されていませんので,場合によっては何時までも続いていたようです。僕は早起きですから10時半には必ず床に就きました。役員の方々のバイタリティーには本当に驚きです。

 出発前にT.K会長より,会議ではいずれかの分科会に入るようにと指示がありましたので,僕は「サーバスの未来とビジョン」に参加しました。

 他の議題には「平和」「ホストとトラベラー」「財政」「管理体制」「サーバスオンライン」などがありました。

 分科会会議では小グループに分かれて討論し,各グループで出た意見を大きな模造紙に書いて提出するというものでした。こちらも結構難しく僕は会議の進行を眺めているばかりでした。

 「サーバスの未来とビジョン」で,僕のグループの意見ではどうやら大まかですが以下のことが討議されていました。

 1 サーバスメンバーの若返りが必要

   各国ともにメンバーが高齢化しているようです

 2 情報の交換にはフェイスブックの様なシステム(オンライン)が必要である

   会議に参加された多くの方がパソコンを持参されていました

 3 更に多くの新会員の入会が必要である 云々

   その他もっと意見が出ていたと思いますが大体上記の事柄が話し合われました

また会期中にアジア会議もありました。参加されましたのは韓国,中国,シンガポール,インド,香港,台湾,マレーシア,タイ,ネパール,日本の国々でした。それぞれ代表の方が近況を話されましたが,やはり現在の会員数に興味が集まっていたように思います。アジア会議をまとめておられたのはマレーシア,韓国,インドの代表でした。

会議三日目からはほとんどが各国デリゲートとナショナルセクレタリーと開催国のポーランドの役員が中心の会議になりましたので,私達オブザーバーには希望者だけが参加できるカヌーでの川下りのイベントが用意されていました。前日の昼過ぎに突如凄い雨風がありましたので心配していましたが,その日は天朗らかに晴れ渡り,気も清く恵風和暢して素晴らしカヌー日和となりました。カヌーは2人一組で14〜5隻ぐらいだったと思います。ポーランド北東部には森と湖の湖沼地帯が果てしなく広がっています。緩やかな流れの川がいたるところにあるのでしょう。私たちが川下りを楽しんだのはその中でも最も初心者向けの緩やかで美しい流れだったに違いありません。まるで森の妖精達が歌を歌いながら現れそうな舞台でした。川面に映える青空と白樺林,長閑に草を食む牧牛たち,川岸に生い茂る芦,流れに揺れる水草,その水のなんと美しく冷たくて気持ちの良い事か。

 私はカヌーに乗るのは初めてでしたので,熟練したポーランド人のヤンヌ・ワシレクスキーさんが同乗してくれました。川下りの間は当然2人きりとなりますので黙っている訳にはいきません。カヌーでの1時間余りは片言の英語で会話を切らさず続けるのは少し疲れましたが,ヤンヌさんは良く私に合わせて話をしてくれましたので助かりました。無事川下りを楽しんで,森のレストハウスで頂いたソフトクリームと仲間と分け合って飲んだビールの味は決して忘れられない思い出となりました。帰りのバスでは誰彼なしに歌が始まり,各国お国自慢の歌声がポーランドの森にこだましたことでしょう。

その晩,夕食後のアクティビティーは野外で民謡音楽の演奏がありました。ボンファイアーを囲んで直ぐにお踊りの輪ができ,人々が入り交ざって音楽と踊りを楽しみました。踊りと歌声は夜中遅くまで続いていました。僕は静かにその輪を離れ,夜空の星を眺めていました。余程空気が澄んでいるのでしょう,銀河を渡る大白鳥,カシオペ座,北に北斗七星がくっきり輝いていました。真天空を流れる天の川に思いを馳せているうちに何度も流れ星を見ることが出来ました。これも忘れ難い自然の贈り物となりました。

会議の4日目は待望のイクスカーションです。この日ばかりは難しい会議の事も忘れて参加者全員での行楽です。お楽しみはこの地ならではの,どこまでも続く大森林と大小様々の湖を渡る湖上遊覧です。この辺りの湖は標高が皆同じぐらいで川や運河でつながっているところが多く,かなり大型の遊覧船でいくつかの湖を行き来できるようになっているらしく,この地方の行楽の目玉なっているかと思います。私たちも船着き場まで2台のバスに分乗し,港で遊覧船に乗り込みました。途中閘門(こうもん)式運河を経て,湖岸の風景を楽しみながら綺麗なベウダニ湖湖岸の港町ミコワイキまでおよそ2時間。観光客で賑わうミコワイキの街を散策して再び同じ航路でピアスキのホテルまで戻りましたが,真に楽しい想い出深い湖上遊覧となりました。船内でのサーバス交流もまた一段と弾み楽しいものでした。

会議は代表者だけが集まって5日目も6日目も続きましたが,オブザーバーの私たちは全く自由でしたので,その間ホテル近くの森の散策を楽しみました。森の下生えには綺麗な草花も多くみられましたし,随所にキノコを観察することが出来ました。夜は夕食後に各国のプレゼンテイションがありましたが少しだけ見て僕は早く休みました。

6日目の夜はお楽しみのクロウジング・イブニング・セレブレイションがありました。各国が競い合うように工夫を凝らしたパフォーマンスを披露しました。歌あり踊りあり,この会議で一番盛り上がったひと時でした。僕はこの会議中はほとんど目立ちませんでしたので,この時ばかりとちょっとハッスルしました。何をしたかは誰かにお聞きください。あまり自慢にはなりませんので!ともあれその夜は,この会議で精魂を遣いつくされたポーランドの御世話役の皆さんは何時までもこの国際会議の余韻を楽しまれたに違いありません。役員の方々はこの会議が終わって皆一様に感涙極まって感激の涙を流されたとのことでした。

 このクロージングのイベントの中ほどでは1週間お世話になったホテルの方々全員に感謝状が手渡され,引き続いて我々参加者全員にもサーバスインターナショナル第29回ゼネラルアッセンブリー インポーランドの修了書が,5人の国際本部代表の方々から一人ずつ丁寧に手渡されました。その都度巻き起こる拍手と歓声がこの会議の成功を物語っているようでもありました。

僕はと言えば大してお役にも立てずにちょっとほろ苦いサーバス国際会議ではありました。でも楽しかった!この会議期間中にどれほど多くの仲間と会話し握手を交わしたことだろうか。人と人が握手し笑顔で見つめあうことはやはりサーバスの原点だろうと思います。

最後に日本サーバス会員の皆様へ‘ご支援ありがとうございました。!


  ポーランドGAでの歌を通じて

                              「オランダ在住」 A.P

ポーランドGA会場に行く前にサーバスにホームステイをしました。ご主人と友人夫婦と私達の5人で、庭で飲みながら今夜はバーベキューだという。

大きなお庭に大きなログハウス。奥さんのいない寂しいバーベキューかと思いきや、マイクロバスで12人ほどのアーティストと共に、奥さんが帰ってきました。

展示会終了の打ち上げパーティとかで、ログハウスの中でのバーベキュー。話をしたり歌ったりで和気藹々。そして私にも何か日本の歌をとの声がかかりました。

人前で歌うのはにがてですが、GAで歌うポーランドの歌「森へ行きましょう」は家でさんざん練習したので、歌詞を間違えても誰もわからないしと大声で歌いました。

するとどうでしょう。皆さん知っている人がどんどん歌いだし、それぞれのことばで大合唱となり楽しい時をすごすことができました。

GA会場のホテルでは、早速着替えて歌の練習。会長もいっしょに歌いませんかと女装してもらい、大爆笑。会長は本番には出ませんでしたが、楽しい裏話です。

「日本サーバスのパフォーマンス、すばらしかったです。ありがとう。」と、翌日ポーランドのお兄さんからいわれました。

T.K会長の英語でのスピーチ、T.Sさんのオカリナ、女性陣の歌声、日本サーバスとしての強い印象を与えた事、間違いなしです

皆様ありがとうございました。


 
  サーバス国際会議参加の旅

九州支部 O.T

 T はじめに --- 参加動機
2010年に台北で開催された東アジア会議の時だったと思いますが、東北支部事務局長の森さんから、「国際会議、おもしろいですよ。ぜひ、参加してみませんか」というアドバイスを受けていたのを思い出し、他の用件もあって急遽参加を決めました。「1週間もの会議っていったい何をやるんだろう?」と、ちょっと興味もありましたし、来年あたりに企画している若い仲間とのフィンランド、ポーランドツアーの下見にもなるし・・・と本来の参加主旨とは離れたところに参加動機があり、きわめて傍観者的、物見遊山的な気分での参加でした。しかし、参加してみて非常に楽しく、「行ってよかった」の感を強く抱いています。「下見」の方も有益な情報がたくさん入手できて満足度の高い旅になりました。ここでは「国際会議参加の旅」として、旅の概略を書いてみます。 

U 国際会議前に

  ヘルシンキ初訪問

関空を午前1045分に出発してヘルシンキに、同日の15時到着。ヘルシンキの空港にはサーバスのリッタさんが私のLOIをかざして家族で出迎えにきてくださっていました。すぐ自宅に行き、お茶をいただいた後、10歳の息子さん・ローリィの柔道の練習を見に行きました。「レイ!」「モクソウハジメ!」「モクソウオワリ!」など、日本語が飛び交います。外国で柔道の練習を見るのは、私には初体験でした。夜は自宅のサウナへ。日本の温泉などについているサウナと同じかそれよりちょっと大きめのサウナで、リッタさんと「はだかのつきあい」をしました。自宅サウナの初体験です。サウナには家族で入ったり、友人たちと一緒に入ったりするそうです。コミュニケーションの場なんでしょうか。
翌日の夕方はローリィの学校の保護者会について行きました。残念ながら、フィンランド語が全くわからず、あとでリッタさんに説明していただいて内容がわかる始末でしたが、うわさの  
"フィンランド教育"の現場に行って、学校や教室環境を参観させてもらたのが有益でした。

 次の日は、ヘルシンキ大学生のサーラがリッタさんのお宅に会いにきてくれました。サーラは日本語が非常に得意で、日本大好きな「建築」を学ぶ女学生です。私が彼女に会ったのは日本で67年前の大晦日の日、近くの会員宅にお父さん・妹さんと一緒にステイされたときでした。それ以来、彼女は自分で何度も日本に来ています。6月にも来日し、東北で震災後の片付けボランティアをしたそうです。サーラと再会を約束して会議の開催国であるポーランドに向けて旅立ちました。

 2 ワルシャワへ

   ヘルシンキからワルシャワまでの飛行時間は1時間45分。シェンゲン協定内の移動なので、ポーランド入国はきわめて簡単。す〜と外に出てしまった感じでした。出迎えのサーバスメンバーとおしゃべりをしていると、ホストのジョアンナが愛用のクラッチでにこやかに登場です。彼女は若い会計士。タックスアドバイザーだそうです。サーバスユースと国際会議の実行委員会のメンバーです。「両方で大変でしたね。それにホストも・・・」。とねぎらったら、「いろんな人に会えてとっても楽しい!」という返事。「すごいな〜」。と感動。
ジョアンナのマンションには日本からの参加者である京都のHさん、Tさん、奈良のTさん夫妻そしてOさんの5名が同宿です。すぐに夕食をとり、ワルシャワの旧市街へ。王宮前はライトアップされ、ストリートパフォーマンスもあったりして縁日のように賑やか。たくさんの方がそぞろ歩きを楽しんでいました。ここで何人ものサーバスメンバーと出会い、挨拶を交わしましたが、まだ、誰が誰やらさっぱりわかりません。サーバスユースから引き続き参加のHさんとTさんは慣れたものです。すっかり溶け込んでいらっしゃいました。

 ワルシャワを訪れたのは今回で3回目でしたが、夜歩くのははじめて。最初に訪れたのは1990年の夏。前年の秋に民主化宣言がなされていましたが、今回のような開放感は感じられませんでした。

V 国際会議 General AssemblyGA2012)

 会議の様子はT.K会長にお任せして、私は参加して得た「感動」をいくつかあげてみたいと思います。
まず、「交流」を存分に楽しみました!

 会議は中1日のエクスカーションを入れて1週間。各国1票の議決権行使者以外はオブザーバー参加なので非常に気楽です。おもしろそうな会議に参加したり、ロビーでおしゃべりに興じたり、独自プログラムでwalkingやカヤックに参加したりして、いろんな方々との交流を楽しみました。(終始会議に拘束されているT.K会長には申し訳なかったのですが・・・)。

2 いくつも「おもしろい!」と思ったり、「知らなかったな〜」と思うことがありました。
その@はそれぞれのお国なまりの英語を一度期に聞けたことです。「
Englishesというけど、まさにそうだ!こんなチャンスってあまりないな〜」と一人で感動していました。
j そのAは、お隣の方の名札に記されていた「Georgia」を見て、「えっ、これってアメリカの州名じゃない?」と不思議に思って手元のスマホで検索してみたら、黒海の東岸の「グルジア」でした。英語名は「ジョージア」で日本政府には「グルジアをジョージアに改めるよう要請」してある、とありました。一つ賢くなりました。

 そのBは、アフリカのボツワナやザンビアは何度確認してもその位置をすぐに忘れてしまう私でしたが、今回、その地から見えていたメンバーと話をすることによって、人と国と地図上の位置が存在感をもって頭に焼きつきました。地図上だけだった国が、「あのKeretsoの住むボツワナ、Clareのザンビア」になっていくのです。これが人と「出会う」ということか、と新たな発見でした。

 3 その他、会議の進め方が私にはとても新鮮でした。

 帰宅後、サーバスインターナショナルのホームページを読んだら、会議は国連方式で進められることが書かれていました。事前にmotionを出しておき、それをGA中の作業部会(オブザーバーも自由に参加可)で整理し、全体会提出議案にしていくという進め方です。motion提出者が他のmotionとの結合や取り下げを希望しなければ作業部会で反対意見が強くても全体会に提出できるという点や、会員数にかかわらず各国一票制という方式もおもしろいなと思いました。

4 最後はボランテイァが「自然」「ふつう」という感じだったことへの感動です。
 サーバスはボランティア団体ではありますが、それにしても「よくまぁみなさん、えらいな〜」と感心のしどうしでした。毎日のnews letter発行、会議運営世話係、レクの企画等々すべて参加者からのボランティアグループで行われていくのです。 国際本部役員の選出は「根回し」で行われるのかと思ったらこれも立候補。締め切りまでに届け出て、演説をし、フロアーの質問に答え、投票による選挙で決定です。「自分の仕事をもちながらよくやるな〜」とあっけにとられました。ちなみに、今回、サーバスユース(1週間)と国際会議(1週間)の2つの実行委員会を取り仕切ったEwaは現職の女性英語教師だそうです。彼女はサーバス国際本部のDevelopment委員会のメンバーにも立候補し、当選していました。自分の仕事をしながら、片一方の手ではボランティアをやっていける能力と社会体制。すごいな〜、脱帽です。

W ハプニング

GA後私たちが2日間お世話になることになっている実行委員会のメンバーでもあるホストのボグダンさんが勤務する大学からの呼び出しで急きょワルシャワに戻らなければならなくなりました。彼は私たちにも一緒に車で帰らないかと誘ってくれるのですが、GAは金曜日と最終日の土曜日が残っていますし、H.Tさんが周到に準備を進められた日本チームの出し物もまだでしたので、丁重にお断りしました。それでも彼は「娘が日本人に会えるのを非常に楽しみにしているのでみんなと一緒の2泊だけではほとんど話せないと思うのでぜひ来てほしい」と熱心です。断りきれなくなって、私が一足先にGAを中断して一緒にワルシャワに戻ることにしました。深夜のドライブで自宅についたのは午前3時過ぎ。10歳のかわいい娘さんが自分の作った折り紙の工作物をもってすぐに挨拶にきてくれ、びっくりしました。「待っていてくれたんだ〜!」。娘が楽しみにしているから・・・」と熱心に誘ってくれたお父さんの気持ちがわかったような気がしました。

1 再びワルシャワ市内へ

 仕事に出かける彼について列車でワルシャワ市内へ。車中でもポーランドのことをいろいろ説明していただきました。大学の研究室では大学院生が「3.11福島原発事故後の気象上の変化に関する考察」論文を彼の依頼でPCを使って私にレクチャーしてくれましたが、悲しいかな専門用語があまりわからず、私には“猫に小判”の状態でした。わかったのは放射性物質の含有量がヨーロッパでも増加しており、さらなる監視が必要だということでした。彼がその院生と打ち合わせをしている間、私は近くにあるショパンミュージアムを楽しみました。新しい博物館ですが、いつまでいても飽きない、近代的でよく整えられた博物館でした。

 彼の仕事が終わった後、ワルシャワ市内を案内していただきました。ショパンゆかりの建物やコルチャック先生と子どもたちが最後に一緒に歩いた道やユダヤ人ゲットーの跡など、彼が準備してくれた資料を元に詳しい説明を聞きながらゆっくり歩けて非常に充実した一日になりました。最後に行ったチョコレート専門店のホットチョコレートの味は最高でした!

2 郊外へ

翌日の午前中は郊外の農村に住む彼の両親と妹さん一家を家族と一緒に訪問しました。初めての日本人客だそうで、歓待していただきました。

ポーランドは第二次大戦後、ソ連の傘下に入ることを余儀なくされましたが、農業政策ではソ連で施行されたような集団農場方式は採用されなかったそうです。代わりに食糧生産のために、荒れ地(と言っても平原です!)に入植し、そこに家を建て、農業を続ける意思を表明すれば土地は政府から与えられたそうで、彼の両親はそれに応じ、農業を始めたそうです。それで広い農場を所有されています。今、その一部(といって広大です)に彼はたくさんの苗木を育てていました。定年退職後はそこに住んで果樹園を営むのが夢だそうです。まだ40歳なのに・・・。

  昼からは近所に住む親せきの子どもたちもきて賑やかになりましたので、持っていっていた折り紙で遊んだり、前日買ってきていた寿司セットで“海苔巻づくり”をみんなで楽しみ、ニワカスシパーティをやりました。夜のゲスト用に残しておくつもりが子どもたちの食欲ですぐになくなってしまいました。

3“国際パーティ”ミニ版をホスト宅で

  PiaskiでのGAを終え、T.Tさん、T.Sさん、フランスの会長夫妻、トルコの会長の5人がボグダン宅にゲストとして合流です。ボグダン一家4人とゲスト6人が一堂に集い、新たな国際交流がはじまりました。食事の準備も片づけもみ〜んなでわきあいあい。奥さんのマゴーシャは料理が得意でいろいろなものを用意してくれましたが、トルコのサルージャも負けていません。スーパーで買ってきた材料で、あっという間にベジアタリアン料理をつくりました。Hさんも持参した寒天でサラダをつくり食卓へ。大きいテーブルは瞬く間にインターナショナルな料理が並び、フランスから持参のサーバー付ワインで一同、乾杯! 楽しいひとときでした。

 ホスト宅滞在中にみんなで作曲家兼外交官であったオギンスキーの生地Guzow Palace(修復中)や第一次大戦の犠牲者の墓地を訪ねました。更にショパンの生地であるZelazowa Wolaで日曜日恒例のショパン曲の生演奏を楽しみ、広い庭を散策してゴージャスなひとときを過ごしました。

 X 最後に --- 人との出会い

学ぶことの多かったGA参加でしたが、何と言っても人との出会いが一番でした。ホスト
は言うまでもなく、多くの方との出会いや再会に感動を覚えました。
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東アジア会議やアルザス
Pathway Together で会ったMさんCさんRさんそして韓国のS会長、Nさんに紹介していただいた 中国からのTifani やJack アメリカのMikuriya さん、イギリスの夫妻・・・挙げていったらきりがありませんが、人とのつながり、これこそがサーバスの魅力なのだと思います。.............................................

最後になりましたが、日本からの参加メンバーにはオランダのAさんを含め非常にお世話になりました。みなさまのおかげで毎日を楽しく有意義に過ごさせていただきました。かけがえのない貴重な思い出をみなさんと共有させていただけたことに感謝いたします。